「いつまで我慢するの?」という声に、今は答えたくない

静かな窓辺/雨のにじむガラス/白いノートとペン
目次

誰かに聞かれた気がした。「いつまで我慢するの?」

「ねえ、いつまで我慢するの?」

そんな声が、ふいに胸の奥に刺さった。
言われたわけじゃない。
でも、自分で自分に問いかけていたのかもしれない。

言葉にならない「続けている理由」

離婚しない理由なんて、本当はとっくに分からなくなってる。
優しい時もあるから?
子どもがいるから?
お金のこと?
親の目?

どれも理由のようで、言い訳のようで、でも本音のようで。
自分でもよくわからない。

「正論」では動けない日もある

「我慢しないで」「逃げていいよ」「あなたは悪くない」

そう言ってくれる人がいて、救われる気持ちにもなるけど、
正直、すぐには動けない。
だって、私の毎日は“我慢することで成り立っている”から。

それでも「自分を見捨てない」ために書いている

だけど、ここに書くことだけは、
私が私を見捨てないためにしていること。

誰かに届かなくてもいい。
コメントがなくてもいい。

でも、「ちゃんと今日も生きていた」って、
自分に証明したくて、書いている。

まとめ:「今は、答えたくない」そのままで、いい。

同じように答えられない誰かがいたら、あなたのその気持ちも、ぜんぶまるごと正解です。

だから今はまだ、「いつまで我慢するの?」に答えたくない。

答えられないんじゃなくて、答えたくない。それも私の選択。

いつか変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。

でも、今はそれでいいと思ってる。



ここまで読んでくれて、ありがとうございます。

あなたも「答えられない気持ち」を抱えていたら、無理に言葉にしなくていいです。

でももし、少しだけでも話してみたくなったら、一言でも、コメントを残してくれたら嬉しいです。

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