16時に帰れるだけで、人生が違って見える日

目次

「ただいま」と「ごめんね」を同時に言う夕方──
あの修行のような日々には、もう戻らないと決めました。

「またシフト変更で〜す」の破壊力

ある日、上司からサラッと言われました。

「来週から、12時〜16時まで勤務時間を変更してほしいだけどどうかな〜?」

軽い。

言い方が軽い。

こっちは人生が揺れるほど重大なのに、それをカフェの注文みたいに言わないでほしい。

思えば、ここ数年で何度この言葉を聞いてきただろう。

  • 遅出勤務(18時過ぎ帰宅コース)
  • 6時間勤務(午前から午後勤務コース)
  • 急なヘルプ(ほぼ正社員コース)

パートのはずなんですけど。

名札に“臨時リーダー”とか書かれてないか心配になるレベルです。

帰宅して、お弁当を並べる私

あの頃の私は、18時すぎに家に帰って、スーパーのお弁当を「はい」と並べていました。

お弁当って、何も悪くないのに、あのビニールのおかずとのこすりあうカシャカシャ音が

なぜかちょっと申し訳なく聞こえる不思議。

「今日もごめんね、これで…」とつぶやく私に、子どもは「やったー唐揚げ!」って喜んでる。

なのに私は、勝手に自己嫌悪。

「誰も責めてないのに、なぜか勝手に反省してる──」
主婦あるある、ここに極まれり。

私の理想勤務、発表します

そんな私がついにたどり着いた最適解。

それは──

朝8〜9時に出て、4〜5時間で帰る勤務スタイル。

え?普通?

いやいや、それが一番難しいんですよ。

「ちょうどいい」は、たいてい希少。

16時に帰れるだけで、

  • スーパーは空いてるし
  • 洗濯物は取り込めるし
  • 気持ちの余裕がギリ保てる

これはもう「自分の人生、今日も守れたな」って思える時間帯です。

“仕方ない”は封印したい

昔は「まあ仕方ないか」で全部飲み込んでいました。

でも最近はもう、

“自分のご機嫌を他人に任せない”選手権に出場中です。

今回の勤務時間はちゃんと、「16時までなら大丈夫です」と言えました。

ちょっとドキドキしたけど、家族に“ごめん”を言い続ける自分には戻りたくない。

おわりに:人生の満足度は、退勤時間で決まる説

帰り道にふと寄ったコンビニで、夕方にゆとりがある日は、カフェラテが妙にうまい。

そして冷凍唐揚げの前で、心に誓う。

「もうあの“カシャカシャ弁当の日々”には戻らんぞ。」

家族のために働くのも大事だけど、自分のペースで過ごせる時間が、結局いちばん“いいお母さん”をつくってくれる気がする。

読んでいただき、ありがとうございました!

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